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東京裁判の存在自体

腑に落ちません。

結局、正義は勝った側が自由に設定できるものだからです。

敗者は所詮賊軍です。石原莞爾が頭にいたら結果は変わってた

かもしれませんが...

杉森久英著「参謀・辻政信」の中に、以下の文章がありました。

250307.jpg

これですよ。連合国軍による見せしめにすぎません。

日本はアジア諸国への侵略等で非難されましたが

アメリカによる日本の都市部への焼夷弾攻撃、

広島と長崎への原爆投下による大量殺人に対しての

責任が問われていないのは何でですかね?

まさに、勝てば官軍なんですわ。80年たった今も曖昧ですね。

こういう世の中であと30年ほど生きていくのですが、ほどほどに

過ごすのがいいんですかね?

まぁ、腑に落ちんわ。

 

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